兼務社のご紹介

木田神社には下記の兼務社がございます。

春日神社 福井市西木田

所在地   福井市西木田一丁目八−一〇
祭神    天?屋根命
例祭    五月三日
神紋    八つ輪宝
境内地   三一三.五㎡
旧社格   村社
主要建物  本殿 鉄筋コンクリート造
拝殿 鉄筋コンクリート造
氏子    八五戸
宮司    金岡 正和

由緒沿革
社伝によると朝倉氏の守護神として、天正元年(1573)九月一日大和国の春日神社の祭神を勧請して創立した。大正元年、大正天皇即位の折、万歳旗を下賜された。大正一〇年旧社殿を北向きにし、新社殿を竣工した。昭和二三年六月二八日の福井震災により社殿が倒壊し、同二九年社殿を修復、大鳥居玉垣の寄進があり、昭和五一年一二月鉄筋コンクリート造の新社殿が竣工した。神像は室町時代初期の木造立像で、神仙思想の影響を受け、本県の宗教思想上貴重な像である。

春日神社 下馬町

所在地   福井市下馬町西割四〇
祭神    天津?屋根命
例祭    一〇月九日
境内地   六九〇㎡
旧社格   村社
主要建物  本殿 瓦葺 権現造
拝殿 瓦葺
境内神社  春日神社
氏子    七〇戸
宮司    金岡 正和

由緒沿革
社伝によると天平年間(729〜749)の創建とされる。往古は八重巻神社と称し鎮座地を「這上り村」と称した。文明年間(1467〜1487)朝倉敏景が社前に於て落馬したことにより、神威を恐れ下馬札を設けたという。依って村名を改め下場村と称したと伝えられている。

春日神社 小稲津町

所在地   福井市小稲津町三〇−一五
祭神    天津?屋根命
例祭    三月一一日
境内地   八七六㎡
旧社格   村社
主要建物  本殿 木造 銅板葺 流造
拝殿 木造 瓦葺 流造
境内神社  石神神社(水神様)
氏子    六六戸
宮司    金岡 正和

由緒沿革
社伝によると、一乗谷落城後当村の氏神として天正一八年(1590)現在の地に遷したという。社殿は昭和二三年六月二八日福井大震災のため、倒壊した。同年一二月拝殿および昭和四五年本殿を再建した。

春日神社 前波町

所在地   福井市前波町一六−四
祭神    天児屋根命
例祭    四月一日
境内地   一三二九㎡
旧社格   村社
主要建物  本殿 木造 銅板葺
拝殿 木造 銅板葺 入母屋造
氏子    九戸
宮司    金岡 正和

由緒沿革
創祠年月不詳。社伝によると、朝倉氏の老臣、前波九郎兵衛なる者の鎮守社であったが、その後、桂田播磨守が領主時、一向一揆によって社堂が廃壊したという。

春日神社 曽万布町

所在地   福井市曽万布町五−三三
祭神    天津児屋根命 素?鳴尊 應神天皇 武?槌命 大山咋命 高?大命 姫大神
例祭    四月一日
神紋    五七の桐
境内地   九三四㎡
旧社格   村社
主要建物  本殿 鉄筋コンクリート造 銅板葺 堂宮造
拝殿 木造 瓦葺
境内神社  吾智如来 大年神社 九社神社  氷川神社  白山神社  薬師神社
氏子    七五戸
宮司    金岡 正和
特殊神事  ひづめ太鼓

由緒沿革
社伝によると長和四年(1015)一條家は曽万布の庄を山城国東北院に寄進した。それにより藤原一族の氏神春日大社より分霊を勧請して氏神としたという。曽万布には外に信仰される祠あり、明治二四年に至りこれ等を合祀して現在の春日神社とした。

春日神社 渕町

所在地   福井市渕町四二−九
祭神    天児屋根命  素?鳴尊
例祭    五月五日
境内地   二六一・一㎡
旧社格   村社
主要建物  本殿 鉄筋コンクリート造 銅板葺 春日造
拝殿 鉄筋コンクリート造 銅板葺
氏子    一二〇戸
宮司    金岡 正和

由緒沿革
社伝によれば、北之庄城主柴田勝家公の鎮守なる社を、同家滅びて後、当地に遷され当村の氏神として奉斎尊崇されてきた。明治四三年一二月二六日、同字(周ノ清水)内の無格社氷川神社を合併した。

天満神社

所在地   福井市荒木町 一四−九、二一−一〇
祭神    菅原道眞公
例祭    四月一日
境内地   一二一五㎡
旧社格   指定村社
主要建物  本殿 木造 瓦葺 神明造
拝殿 木造 瓦葺
氏子    九二戸
宮司    金岡 正和

由緒沿革
由緒・創祀の年月不詳。社伝によると、元禄年間(1688〜1704)に勧請されたという。

白山神社 稲津町

所在地   福井市稲津町四一−八
祭神    伊?諾尊
例祭    四月一五日
境内地   一八八〇㎡
旧社格   無格社
主要建物  本殿 木造 銅板葺 神明造
拝殿 木造 瓦葺 神明造
氏子    一四五戸
宮司    金岡 正和

由緒沿革
創立の年月不詳。昭和一一年当地区四一字八番地より現在地に遷座。昭和二三年福井大地震により全壊、昭和二五年再建、当地区の守護神として崇敬されている。

白山神社 荒木別所町

所在地    福井市荒木別所町八−三五〇
祭神     伊?諾尊
例祭     一〇月第二日曜日
神紋     輪宝
境内地    七三〇㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 鉄筋コンクリート銅板葺
拝殿 鉄筋コンクリート銅板葺入母屋造
氏子     四〇戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
創立年月日、由緒不詳。特に社伝も残っていない。明治の『神社明細帳』には、氏子三〇戸、境内地二二一坪とみえる。昭和一一年・二七年の明細書には三二一坪とあるが、現境内地が二二一坪であることから、これらは誤写であろう。本社も本県の信仰形態の特色である白山信仰の地域的拠点と思われる。

白山神社 西谷町

所在地    福井市西谷町大谷五−一〇
祭神     伊?諾尊
例祭     四月一五日
神紋     源氏車
境内地    六九七㎡
旧社格    無格社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 流造
拝殿 木造 瓦葺 流造
境内神社   春日神社
氏子     五十戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
社伝によると、元正天皇の御世、養老二年(718)の勧請というが詳細はわからない。

白山神社 大町

所在地    福井市大町四−一九
祭神     伊?諾尊
例祭     一〇月九日
神紋     左三つ巴
境内地    一九六五㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 神明造
拝殿 木造 瓦葺 流造
氏子     二八戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
創祀については不詳であるが、社伝によると、治承元年(1177)鹿ヶ谷事件で連座し、鬼界ヶ島に流罪になった平康頼が、帰京後、北陸に下向して、この大町に居住した。やがて治承四年(1180)に当社を創祀したという。

板垣神社

所在地    福井市板垣町字百歩三八
祭神     天津兒屋根命 應神天皇
例祭     一〇月八日
境内地    一一三五.二㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 流造
拝殿 木造 瓦葺 権現造
氏子     一〇〇戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
社伝にようと、白河天皇の御世、押領使藤原家明が、この板垣に居住し、永保二年(1082)一〇月八日、奈良の春日大社の分霊を勧請して創祀としたという。明治四二年一月一九日、福井県の許可によって村社八幡神社を本社へ合祀した。

氷川神社

所在地    福井市荒木新保二七−七
祭神     素?鳴命
例祭     四月一〇日
境内地    六四五.一五㎡
旧社格    指定村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 流造
拝殿 木造 瓦葺 流造
氏子     七四戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
社伝に「延黄一〇年(910)の創祀。」また、「疫病流行にも真法宇麻岐家には病人が出ないのは牛頭天王を信仰する為だとして近郷からの参拝者が群をなした。天正元年(1573)に一乗谷が落城すると共に当社も衰微した。」という。昭和一一年に本殿屋根を銅板で葺替えた。福井地震で倒壊した本殿と拝殿とを昭和二五年に再建復興し、参道を新設した。大正四年一一月六日に神饌弊帛料共進の神社に指定された。

熊野神社 花堂北

所在地    福井市花堂北二丁目二十六−一
祭神     伊?册尊
例祭     五月五日
境内地    一三六六㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 権現造
拝殿 木造 瓦葺 権現造
境内神社   稲荷神社  (外)一一面神社
氏子     二〇〇戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
建暦年間(1211〜)紀井国熊野神社祭神を勧請という。正徳年間(1711〜)法宮より現在地に遷座。明治二二年一一月花堂村大火で社殿焼失。昭和一四年拝殿新築。同二七年福井地震で倒壊の鳥居改築。同四四年玉垣新築。同五七年本殿裏山砂防工事。同六二年土手石垣組替。平成元年参道石段伏替と手摺新設及び掲示板新設。同二年御大典記念事業として手水舎新築・子供神輿二基新調し子供角刀・民謡大会等を行う。

熊野神社 栂野町

所在地    福井市栂野町一〇−五三
祭神     熊野大権現  大日如来
例祭     四月三日
境内地    五〇八㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 権現造
拝殿 木造 瓦葺
氏子     七七戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
社伝によると栂野町内の上垣内は元岡保より移りきた栂野松成という人が、祭神大日如来をこの地に祀った事にはじまるという。下垣内は足羽郡田治郷一三箇村の中より分離して移住したもので、元亀・天正の頃(1570〜1592)この社を字熊野に遷し奉ったが、享保年間(1716〜1763)現地に遷し奉ったという。

稲荷神社 別所町

所在地    福井市別所町一〇−五九
祭神     保食神
例祭     一〇月一五日
境内地    一〇三一㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 流造
拝殿 木造 瓦葺 流造
氏子     三五戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
社伝によると、治承三年(1179)平判官康頼が大町村に在住の時信仰した守本尊であったのを家臣の岩永四郎へ付与されたので、四郎はこれを邸内に祀り社殿を造営し、稲荷神社と称えた後、当区の氏神としたものであるという。

稲荷神社 花堂町

所在地    福井市花堂町白矢谷二九
祭神     豊受姫神
例祭     五月五日
境内地    二三一㎡
旧社格    無格社
主要建物   本殿 木造 銅板葺 流造
氏子     二〇〇戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
神社明細帳によれば、正保年間(1644〜1648)大木弥兵衛なる者の守神であったが、同人の家滅びて後、寛保年間(1741〜1744)に今の地に勧請され、村方の鎮守となったという。平成五年一二月一一日に同じ氏子地域内の熊野神社境内に遷座奉斎した。

太田神社 太田町

所在地    福井市太田町一五字三反田二七−一
祭神     伊?册尊 太詔戸命
例祭     一〇月一〇日
境内地    一四五五.一九㎡
旧社格    指定村社
主要建物   本殿 木造 桧皮葺 流造
拝殿 鉄筋コンクリート造 銅板葺
境内神社   大花神社 殉国英霊祖霊社
氏子     八〇戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
社伝によると、古代、太田志羅貴なる人物が、五本錠なる用水を管理していたが文珠山開山のとき、白山妙理大権現を勧請して、この用水の守護神として奉祀したという。かつては、用水関係村の総社であったが、現在は大田区の氏神として崇敬されている。昭和六一年一〇月、宗教法人となる。

大山咋神社

所在地    福井市成願寺町二−一
祭神     大山咋命  伊?諾尊  天?屋根命  高?神
例祭     四月一〇日
境内地    一三一六.七㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 流造
拝殿 木造 瓦葺 流造
氏子     四五戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
大正一〇年二月九日福井県の許可を得て同村同字無格社白山神社、祭神伊?諾尊と同村同字無格社波着神社、祭神天?屋根命と同村同字無格社黒竜神社、祭神高?大神を合祀した。

越知神社

所在地    福井市河水町一四−二二
祭神     伊?諾尊  神狭日命
例祭     四月一日
神紋     八角輪鉾車
境内地    一二一七.七㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 流造
拝殿 木造 瓦葺 流造
氏子     六〇戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
不詳であるが、延喜式内足羽郡下一七社の中の一社で神傍神社と称されていた。不動明王越知山毘沙門天と刻んだ一尺四方位の石があることから不動明王を合祀することになり越知神社になったものと思われる。

富士神社

所在地    福井市鉾ケ崎町二四−四
祭神     木花開邪姫命 伊?諾尊
例祭     四月二五日
神紋     八角輪鉾車
境内地    三二六.七㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 流造
拝殿 木造 瓦葺 流造
氏子     五〇戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
神社明細帳によれば、当社に並んで熊野神社が社名並記されているが、今は富士神社とのみ称し、熊野神社祭神は本殿内に合祀されている。

猿田彦神社

所在地    福井市冬野町二九−二
祭神     猿田彦命 白髭命 十一面観世音
例祭     四月一四日
境内地    一五五九㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 木造 瓦葺 権現造
拝殿 木造 瓦葺 流造
氏子     九戸
宮司     金岡 正和
社宝     泰澄大師御自作十一面観世音・縁起書・おしし神供物お膳(栗板)
特殊神事   獅子頭神幸祭

由緒沿革
社伝によると、大宝元年(701)泰澄みよる創祀という。神体は、伝泰澄作の十一面観世音菩薩立像である。特殊神事としての獅子頭神幸は、例祭日(四月一四日)の前日に獅子頭面を特定の民家に遷し、例祭日の当日に、境内の堂に遷幸入御する。民家より出御の折「又来年ござれ」と村人が唱和する。

山奥神社

所在地    福井市山奥町三一−六
祭神     国常立尊 建御名方命 菊理姫命 天照皇大神 健御賀豆知命 天之子八根命 倉稲魂命 應神天皇 伊?册尊 菅原道眞公 大己貴命 豊受大神
例祭     五月一五日
境内地    二〇七九㎡
旧社格    村社
主要建物   本殿 権現造
境内神社   稲荷神社
氏子     一〇〇戸
宮司     金岡 正和

由緒沿革
社伝によると、養老元年(717)泰澄・吉田承?なる者両人の創立にして五社明神を勧請したという。谷口に五社を建立。明治元年八月一六日五桂神社と改称した。更に大正九年七月三一日に四社合祀して山奥神社と改称した。